2012年3月29日木曜日

ぬまゆのブログ ( その3 ): 「 どうしようもない 南相馬市 と 【 東電 】 ・・・ 」

ぬまゆのブログ ( その3 ): 「 どうしようもない 南相馬市 と 【 東電 】 ・・・ 」: 南相馬市 原町区の 駅前通りに面した アパート で、 高齢の親子が 「 凍死 」 しているのが、発見された。 布団に入ったままで、死後 2 ~ 3 週間 経っていた。 なぜ、このようなことが、駅前通り で 起こるのか ! 行政は、いったい何をしていたのか ...

ドイツZDF フクシマのうそ、必要な情報はすべてベラルーシにある、広瀬 隆さん講演会 2012年3月25日

◆ドイツZDF フクシマのうそ、

必要な情報はすべてベラルーシにある

野呂美佳さん講演会2011/11/2@香川


【必見!拡散希望!】英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版作成しました http://torajiyama.blog.fc2.com/blog-entry-405.html

20120324 故郷か移住か 原発避難者たちの決断

◆広瀬 隆さん講演会 2012年3月25日
宮内庁から、広瀬隆さんに、教えてくださいとの連絡が入ったそうよ

活用して◆汚染がれきの危険性を伝えるわかりやすいマンガ資料

名古屋大の高野先生(だいずせんせい)がガレキについてブログに書いてくれました。

◆放射能、本当のこと|福島第一原発,2,4号機
数十年後、日本人ほぼ絶滅?」(バンダジェフスキー博士)
(日本の国や自治体は)自分たちで情報を隠しています。もしも、このような形で情報を隠し続ければ、あと数十年後に日本人という国民が、本当にわずかになってしまいます。


朝まで生テレビ!「原発」第1弾! 1988-7-29 広瀬 隆

東京マグニチュード8.0(スペイン語字幕)


庄野真代 異邦人

島田市が出した試験焼却データのまとめです。何回も言いますが島田市が出したもので、なんと除去率6割です

http://www.yasuhirok.sakura.ne.jp/Products/Shimadacity_RI_Garbage_Report_Final.pdf

不検出だったがれき、燃えかすからセシウム2070Bq/kg検出 山形新聞9月27日
気仙沼市の木くず(略)放射性物質検査では搬入物は不検出で、発電施設での燃えかすからは7月末の調べで2040Bq/kgセシウムを検出

【がれき焼却問題】市民の追及でウソ発覚

朗報!◆東日本震災県の高校生の皆さん、夏休みの米国短期留学支援します。 私が16才の時に留学したカリフォルニア大学へ。 300名、完全無料。〆切4月16日。 0120-955320

ガレキ拡散の真の目的とその黒幕について 石川栄一

安心して暮らせる島田をつくる市民の会のブログ


放射性物質と災害廃棄物に係る講演会 島田市の企画した講演会


瓦礫を活用し本物の森をつくり防波堤を築く方法 - copy

震災瓦礫が欲しいのに... 南相馬市長 - copy

2012/03/05 瓦礫問題 瓦礫処理 岩上安身氏の解説

20120325b_Minamisoma city is wanted a lot of debris.

落合恵子さんの発言(3 24脱原発集会で) - copy

澤地久枝さんの発言(3 24脱原発集会で) -

家に来てたメジロが事故以来一回も来ない。本当に壊滅的なレベル7を実感。日本に住めるの? ◆☆メジロ姿見せず 各地で報告

http://www.facebook.com/hanayuu999/posts/377719445583170 より転載

西日本で野鳥激減 高知県渡り鳥1割以下か
2012年02月16日08時33分
 この冬、県内をはじめとして特に西日本各地で小型の野鳥が激減した、との指摘が相次ぎ、日本野鳥の会(東京都)にも「野鳥が少ない」との声が多く寄せられている。原因は判然としないが、同会は「東日本で野鳥の餌となる果実などが比較的豊富なため、西日本への南下が遅れた可能性もある」などとも推測している。

http://www.webcitation.org/66UkQR5GA より転載

メジロ姿見せず 各地で報告

2012年3月28日 02:05 カテゴリー:九州 > 福岡
今年はほとんど見られないメジロ。再び、羽ばたく姿を見せてくれるか…
 梅の盛りが過ぎ、ツバキが満開となっても、今年はメジロの姿がほとんど見られない。花の名所で“ウメジロ”と呼ばれる「梅とメジロ」の写真を狙うカメラマンも多くが空振りに。日本野鳥の会筑後支部(久留米市)には、「冬鳥が極端に少ない」といった報告も寄せられており、野鳥のさえずりが静かな「沈黙の春」に関係者は首をひねっている。
 松富士将和会長(71)によると、約180人の会員がいる筑後支部が異変に気付いたのは昨年12月。例年ならば、筑後地区の里山や市街地に姿を見せるメジロやツグミ、シロハラなどの野鳥の姿が見られないという。
 野鳥は山にエサが豊富であれば、人里など平地まで飛んで来ないとされる。ただ、今年は市街地にとどまらず、筑後支部が久留米市御井町の高良山などで行ったバードウオッチングでもメジロは確認できなかった。
 日本野鳥の会(東京)によると、筑後支部以外にも「こんなに野鳥が少ない冬を経験したことがない」(大阪支部)などと各支部から冬鳥の異変が報告されており、メジロに関しては特に近畿以西で観察できないケースが目立つという。
 松富士会長は「筑後川のカモなどは例年通りに確認されており、メジロやツグミだけがいない原因が分からない。非常におかしな事態で、継続して2、3年は注意深く観察を続けたい」と話している。
=2012/03/28付 西日本新聞朝刊=

コスタリカ共和村にやってきたお金持ちに導いてくれる「リッコ」と「リッカ」の物語

うちの山羊さんをイベントや草刈りにレンタルしますよ。交通費

のみ。◆エコ除草:人や薬剤使わず、ヤギで 美濃加茂市が

社会実験 /岐阜 - 毎日jp(毎日新聞)


お庭のヤギの除草隊!

美濃加茂市 「さくら広場」 ~山羊による除草作業~

自動草刈り機動物利用ヤギ編徳島県


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2012年、3月23日、子山羊の「リッコ」と「リッカ」は、コスタリカ共和村の一員になりました。兄妹は、2月の初旬、愛媛県西条市のキュウイ園で生まれたばかり。まだこの地球環境を2箇月足らずしか知りません。まだ、四国村だけが彼らの世界。彼らは、放射能の影響をまったく感じていません。健康そのもの。

安音さんは、高知県東洋町の愉快すぎる仲間と、幸せいっぱいの子ヤギの生活日誌を付けていくつもりです。「リッコ」と「リッカ」がやって来てからの毎日はハプニングだらけ。とても豊かな時間が生活空間いっぱいに広がっています。

「リッコ」とは、イタリア語読みの「リッチ」(豊かな、お金持ち)の意味。西条のお母さんが付けてくれた名前をそのままいただきました。リッコは、風格のある奴。放射能の雨に撃たれたので、昨日、全身を川で洗おうとしたら、角で安音を攻撃してきました。身を守る術にも長けているようです。

「リッカ」は、スペイン語読みです。costaは、海岸、ricaは、豊かなの意味。つまり、コスタリカは、豊かな海岸が広がる地域なのです。

二匹の名前は、西条のキュウイ園、愚禿山、もぎたて倶楽部代表、山ノ内家との合意のもと、「コスタ・リッコ」「コスタ・リッカ」に決まりました。
    ようこそ自然派農園 愚禿山へ(ぶどう・キウイ・イチジク・柿・梅などの摘み取り)~愛媛県西条市丹原町~

スペイン語では、[お音]
で終わる単語の大方が男性名詞。[あ音]で終わる単語が女性名詞です。例えば、カサ・ブランカとは、スペイン語で「白い家」を意味し、CASAが「家」、BLANCAが「白い」です。女性名詞には、あ音で終わる女性読みの形容詞が後ろに付くのがスペイン語のキマリ。

だから、つまり、「リッコ」は、オスで、「リッカ」がメスです。兄と妹の二匹はとても仲良しで、妹が泣き出すと、兄は、妹を追っかけて助けようとします。頼もしい兄ちゃんです。
「リッコ」と「リッカ」は、コスタリカ共和村の金銭的窮地を救うためにやって来ました。彼らは、人をお金持ちにしてくれる特殊能力を持つ山羊さんなのです。

早速、リッコとリッカは、安音の目を開き、自然界の宝物に気づかせてくれました。例えば、東洋町は、野草の宝庫。家の周辺では、万能ネギが群生していたのです。草食動物の目線で環境を眺めると、食べられる野草がたくさん見えてきました。三つ葉とつくしのお吸い物。菜の花のスパゲティ。貨幣経済に頼らない自給自足の生活スタイル。裏の豪邸の大阪在住のホテルの支配人さんが墓参りで帰郷していました。その堀内さんからは、無農薬の文旦、はっさくをたくさんいただきました。皮はお風呂の入浴剤にもなります。
そんなこんなで、たちまち、出金が大幅に減るようになりました。貨幣経済から完全脱出できたら、日本国から独立した「コスタリカ共和村」ができるのになあ~
★自給自足の生活スタイルを目指す独立した「みどりの市民」感覚を持つ平和を創り出す子ども達よ。東洋町で環境ビジネス始めませんか?協働経営者、合同出資会社設立などの道を作っていきましょう。★

さらに、リッコとリッカは、人々の心をつかみ、いろんな人たちが集まり、助けてくれるようになりました。以前に、山羊を飼っていたという「山田」さんは、高松の白鳥動物園
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に行けば、山羊さんの仲間「リッキ^ー」「リサ」(私の姪の名前は梨紗、4月から広島の看護学校に入学します。)が貰えると教えてくれました。近じか、新しいお友達も加わることになるのかな?

鰻、海老採り名人の「黒岩さん」が小屋を建て始めると、最近、断酒会から帰ってきて、少しまともになりかけている「浜田さん」が口を挟み、ドアを付け始めました。寝床の小屋と、犬が家の庭に入り込まないように家の周りの垣根を完成させてくれました。寝床には、池川木材からいただいた「檜風呂」がセカンドステージとして大活躍。リッコとリッカのお気に入りの寝住まいになりました。

みんな、リッコとリッカが可愛くてしょうがないようで、餌やりや、朝、小屋から出し、夜、野犬に付け狙われないように、小屋に入れてくれることになりました。安音は、高知市に住まいがあり、ネット環境のない東洋町には長期滞在できないからです。(続く)

子ヤギ達、取材を受ける

KSBの早川アナが来てくれましたぁ(*^_^*)
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春一番で生まれた子ヤギ達(^_^)v

続けて翌日もその翌日もヤギの出産ラッシュ(>_<)

結局、今カワイイ子ヤギが5頭居ます(*^_^*)





それから、今日は日曜日なので子ヤギ達のミルクの時間になると来園されてたお客さんの子供達もミルクやりのお手伝いをしてくれました~(*^▽^*)




今、白鳥動物園で一番カワイイ動物は間違いなく、この子ヤギ達ですね(^-^)


♫♪♫ 「白ヤギさんからお手紙、着いた。黒ヤギさんたら、読まずに食べた。仕方がないのでお手紙書いた。さっきの手紙の御用事なあに?」 ♪♫♪

佐藤幸子さん(53)は昨年11月中旬、「野菜カフェはもる」を福島市中心部に開いた。農薬や化学肥料に頼らない西日本産の野菜を専門に扱う

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1090/20120107_02.htm より転載

被ばくした中山間地 ニッポン開墾(6)店開き心身ケア支援

野菜カフェで、西日本から取り寄せた野菜を販売する佐藤さん(奥)。福島の子どもに安全を届ける=昨年12月15日、福島市新町
◎佐藤幸子さん=福島県川俣町「子どもの命守りたい」

 奈良のカボチャに京都のニンジン、広島のホウレンソウもある。約50平方メートルの店内に並ぶのは福島第1原発から遠く離れた産地の新鮮な野菜だ。
 福島県川俣町の農業佐藤幸子さん(53)は昨年11月中旬、「野菜カフェはもる」を福島市中心部に開いた。農薬や化学肥料に頼らない西日本産の野菜を専門に扱う。
 有機農業を30年間続け、自給生活を実践してきた。燃料をたくさん使って運ぶ遠隔地の野菜を売る店は最も遠い存在だった。「思いは複雑。でも今、福島でできる最善の選択肢だと思っている」
 原発事故で放射線量が高くなった地域の子どもはできれば避難してほしいと願う。一方で、経済的理由で残らざるを得ない家族の事情も分かる。
 「福島にとどまる人には安全な野菜を食べてもらい、内部被ばくを減らしたい」。店を開いたのは福島の子どもを守りたい一心からだった。

 5人の子どもを育てた。事故後はいち早く、お母さんお父さんの仲間と自主的に地元の学校の放射線量を調査。比較的高い数値が示され、県教委に新学期開始の延期を求めた。
 要求は通らなかったが、諦めない。5月には県内の親らと「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」を結成した。
 直後の東京の交渉では、学校の放射線量基準を年20ミリシーベルトから下げない文部科学省の役人に、福島市の小学校の土を突き付けた。「そんなに安全なら東京に持ってきてもいいのか」と詰め寄り、基準引き下げにつなげた。
 9月にはニューヨークの国連本部前でデモ集会を開いた。原子力安全首脳会合に出席する野田佳彦首相に拡声器で叫んだ。「福島の子どもを守らないで、原発の安全を言うのはひきょうだ」
 煮え切らない官僚や政治家を怒鳴る。その姿がインターネットで伝えられ、小さい子を持つ親を勇気づけた。おっかないけれど、頼りになる福島のお母ちゃん代表だ。

 上の子3人は独立し、原発事故前は夫和夫さん(61)、18歳の息子、14歳の娘と4人で暮らしていた。鶏250羽、水田1ヘクタール、畑3ヘクタール、山林20ヘクタールを所有していた。都会の就農希望者を受け入れる自然農の研修施設の運営も15年間続けた。修了者は60人に上り、うち15人が福島県に移住した。
 原発事故で農業は全て中断。和夫さんは中国地方で農場探しを続ける。15人の移住者のほとんども県外に去った。
 佐藤さんは福島で活動を続ける。「原発の問題を発信するには福島にとどまってこそ訴える力がある。放射線の不安はあるが、こういうときのために安全な食べ物を取り、体を作ってきた。病気にならない自信はある」
 ただ、わが子は別だ。放射線の影響を受けない所で生活させようと、米沢市の雇用促進住宅を借りた。子ども2人と寝起きし、自分だけ毎朝、栗子峠を越えて福島市に通い、深夜に戻る。
 野菜カフェは放射線に関する相談所の顔も持つ。放射線を心配しながら福島に住み続ける人が相談に来る。話を聞くのは精神科医や気功師ら。佐藤さんの活動に共鳴してボランティアとして協力している。日替わりで店を手伝い、来店者と悩みを分かち合う。
 「これまで多くの恩を受けた。それを今、困っている人に返したい」。助けたり、助けられたり。人の役割が重なり合って命を未来につなぐ。そんな店を目指している。

<6年前の連載/地域通貨、普及に尽力>
 離農者が絶えない中山間地。佐藤さんは地元の雑貨店に生まれ、農家に嫁いだ。自然農の研修施設を営んだのは「次代に農家の知恵と技を伝えていくのも大きな仕事」との思いから。「結い」のような相互扶助の精神を地域に復活させようと、地域通貨の普及にも取り組む。柔軟な発想と行動力が山里に活力をもたらしている。(2006年3月6、7日付)

2012年01月07日土曜